春の日の夕暮(春日傍晚)

春の日の夕暮 – 中原中也

トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮は穏かです
アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮は静かです

吁(ああ)! 案山子(かかし)はないか――あるまい
馬嘶(いなな)くか――嘶きもしまい
ただただ月の光のヌメランとするままに
従順なのは 春の日の夕暮か

ポトホトと野の中に伽藍(がらん)は紅(あか)く
荷馬車の車輪 油を失い
私が歴史的現在に物を云(い)えば
嘲(あざけ)る嘲る 空と山とが

瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮は
無言(むごん)ながら 前進します
自(みずか)らの 静脈管の中へです


春日傍晚

白铁皮吃着仙贝
春日的傍晚是平稳的
受到一记低手投球的灰变作青色
春日的傍晚是安静的

呜呼!没有案山子(稻草人)吗——或许没有
马嘶鸣吗——似乎也无嘶鸣
只有、只有月光持续滑腻灿烂
如此顺从 是因为春日的傍晚?

滴滴答答的野原里伽蓝(寺院)发红
运货马车的车轮 没了油
要我对过去进行着的事物说点什么
那是嘲讽、嘲讽 天空与山与…

瓦片一枚 已被揭下
此后春日的傍晚
在无言里前进
朝着自身的 静脉管之中

桑名の駅(桑名的车站)

桑名の駅 – 中原中也

桑名の夜は暗かつた
蛙がコロコロ鳴いていた
夜更の駅には駅長が
綺麗な砂利を敷き詰めた
プラットホームに只独り
ランプを持つて立つていた

桑名の夜は暗かつた
蛙がコロコロ泣いてゐた

焼蛤貝(やきはまぐり)の桑名とは
此処のことかと思つたから
駅長さんに訊ねたら
さうだと云つて笑つてた

桑名の夜は暗かつた
蛙がコロコロ鳴いてゐた
大雨の、霽(あが)つたばかりのその夜は
風もなければ暗かつた

「此の夜、上京の途なりしが、京都大阪間不通のため、臨時関西線を運転す」


 

桑名的车站 – 中原中也

桑名的夜晚真暗哪
青蛙呱呱地叫着
深夜里车站的站长在
往地上铺满漂亮的碎石
站台上只身一人
拿着煤油灯站立着

桑名的夜晚真暗哪
青蛙呱呱地哭泣着

说起“桑名的蛤蜊”(*1)
那不正是此处吗
站长听我这么说
“是啊”地说着笑了

桑名的夜晚真暗啊
青蛙呱呱地叫着
大雨初停的这个夜晚
风也若无似的真暗哪

(此夜是上京途中,然而因京都大阪之间交通不通,开动临时关西线)

*1:烤蛤蜊是桑名的特产,去桑名吃蛤蜊是不会错的。在江户时代的落语里有了“その手は桑名の焼き蛤”意即“不会上当受骗”这样的俗语。

汚れつちまつた悲しみに(在被弄脏的悲伤中)

汚れつちまつた悲しみに – 中原中也

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかってちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる……

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在被弄脏的悲伤中 – 中原中也

在被弄脏的悲伤中
今日小雪也降了下来
在被弄脏的悲伤中
今日也连风都吹得厉害

被弄脏的悲伤是
譬如说狐狸的革裘
被弄脏的悲伤是
在小雪下蜷紧了身体

被弄脏的悲伤是
什么都不期望也无愿望
被弄脏的悲伤是
倦怠里做着死了的梦

在被弄脏的悲伤中
凄惨可怜又胆战心惊
在被弄脏的悲伤中
什么都没做日已垂暮……

大挽歌

詞:能吉利人
曲:桜井順
歌:野坂昭如

ねむれ ねむれ 少女
雪のなかに

ねむれ ねむれ 少女
春はまだ

おまえの残した ハイミナール
おまえの残した 手紙

おまえの言葉の やさしさが
ぼくを 苦しめる

ねむれ ねむれ 少女
雪のなかに

ねむれ ねむれ 少女
春はまだ

おまえの愛した デモクラシー
おまえの愛した すみれ

おまえの匂いの やさしさが
ぼくを 苦しめる

ねむれ ねむれ 少女
雪のなかに

ねむれ ねむれ 少女
春はまだ

おまえを殺した 子守歌
おまえを殺した 平和

おまえの寝顔の やさしさが
ぼくを 苦しめる

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沉睡的少女
在雪之中
沉睡的少女
春还未来临

你留下的安眠酮(注)
你留下的手书
你话语的温柔
令我痛苦

沉睡的少女
在雪之中
沉睡的少女
春还未来临

你所爱着的民主
你所爱着的堇花
你气息的温柔
令我痛苦

沉睡的少女
在雪之中
沉睡的少女
春还未来临

把你杀害的摇篮曲
把你杀害的和平
你温柔的睡颜
令我痛苦

注:昭和35年(1960年)间,世间流行滥用抗不安药与安眠药,安眠药安眠酮(Hyminal )与抗不安药眠尔通(Meprobamate)成为这个时代的征象。资料来源: 抗不安薬・睡眠薬と1960年代
另,川端康成的《睡美人》,因安眠酮中毒而写。


野坂歌大全I~桜井順を唄う – Track 10

九段の桜

詞:能吉利人
曲:桜井順
歌:野坂昭如

一段のぼって 国のため
二段のぼって 君のため
三段のぼって 村のため
四段のぼって 家のため
五段のぼって 旗の波
六段のぼって あの息子
七段のぼって 母は来た
八段のぼって なに見えた
なに見えた
九段の桜は 散りました
靖国神社 カラッポ
靖国神社 カラッポ
ポポポッポ 鳩ぽっぽ
ポポポッポ 鳩ぽっぽ

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一段凋零 是为了国家
二段凋零 是为了君主
三段凋零 是为了村子
四段凋零 是为了家庭
五段凋零 是旗的波澜
六段凋零 是那个孩子
七段凋零 是母亲来了
八段凋零 又看见了什么
看见了什么
九段的樱花凋零了
靖国神社 空空如也
靖国神社 空空如也
啵啵啵啵 鸠鸟啵啵
啵啵啵啵 鸠鸟啵啵

注释:

靖国神社坐落于九段坂,“九段坂是指从地铁九段下站沿着内堀大街,找到左手边的武道馆,向着靖国神社方面延伸的缓上坡。据说过去曾被称作“饭田坂”和“饭田町坂”。“九段”的由来有很多说法,有的说是宝永年间,沿着这个斜坡建成了构造为九段的长屋,将江户城花圃的看门人安置在此;有的说是陡坡有九段等。
过去坡顶适于远眺,可以看到神田、日本桥、浅草、本所、甚至是筑波山以及房州的群山。因此,适于远眺的坡顶上,建筑于靖国神社对面的高灯笼(常灯明台)成为品川湾上往来船只的标识。”(资料来源:Go Tokyo

令,《九段櫻》原是本宫三香写的一首汉诗,歌颂安眠在靖国神社的士兵们“香云深处祭英魂”。此人是个军人,参加过日俄战争,昭和29年77岁才死,这首诗似乎也是与靖国神社有关的名诗。(资料来源:関西吟詩文化協会)极端厌恶战争的野坂昭如反其道讽刺之。


野坂歌大全I~桜井順を唄う – Track 23